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ひさかたの一目惚れ。
やっべ、ひさびさだ……一目惚れ。 いまだ俺様が使ってるコンポに出逢ったとき以来。 これ、なまらカッコいい。 ウォンチューだよ。 そうそう、俺様ただいま、かぁ~なり靴を欲しがってる。 スニーカー限定。 ほかの靴は、もう少し秋も深まり、またゼペットじいさんの季節がきたら買うことにする。 それまでは我慢。 俺様、靴はかなり好きだ。 革靴も好きだ。あの凛々しいたたずまいがいい。あれに足を突っ込むと、なんか身も心も引き締まる感じがする。スーツと一緒だ。 ……いや、やっぱ違う。 スーツは好きだ。大好きだ。たぶん、服装というジャンルのなかで、一番好きだと思う。 俺様の服装のコンセプトの大元は、“動きやすさ”である。 そう、俺様としては、このスーツってやつが一番動きやすいのだよ。 これ、かなりキモいとかあり得ないとか、んなわけねぇとか言われるけど、実際そうなん...
“ぼくがすべ~て~ぇ~” by ゆずの『いつか』より
あ、そうだ。 そうだそうだ。そうだった。 バイトのお給料日だったのだけども、辞めた人から電話がきた。 深夜2時。 一応わかってるから、仕事もひと段落するだろう時間帯になんてな配慮からだとは思う。 しかしだ。 ひさびさに理由のわからないイライラを感じたぜ。 「あ、もしもし? まっつん?」 「ああ、なした?」 「おれの給料明細ある?」 「ああ、どうだっけ? あったっけ? 見た?」 「捨てるなよ?」 「捨てねぇよ。つーかだれも触ってねぇから。ああ、たぶんあのおっさん持ってんじゃね?」 「あ、ホント?」 「知らね。でもおれらもらってないから持ってんじゃねぇの?」 「あ、そう。わかったわ」 ……すっげぇ元気。やたらとハツラツ。 あんなに弾んだ声、今まで聞いたことねぇ。 嫌味だ。 そんな気はミジンコほどにもないとしてもだ。 俺様がこのとき感じたのは、話してて楽し...
真夏の手袋。
ここのところ、やたらと晴れがつづいてる。 だから先日、思いきって外に出た。 新サイトで使いたい写真を撮るためだ。 長袖のシャツ、長袖の上っ張り、冬用の手袋、そしてサングラス。 陽射し対策もバッチリに、いざ出陣。 あった。 見つけた。 それまでは雨が降ってたから、流れちゃってなかなか出逢えなかったわけ。 しかしその日は、それがあった。 まま、本当は雨の日の名残、さらには雨降ってるなかでのものが欲しい。 でもそれはちーと無理がある。 せっかくなら、雨降りで鈍色の空模様とはいえ、自分の影が映り込んだりするのは耐えがたい。どんなにどしゃ降りだろうと傘は差さない人間だけど、余計なものが構図のなかに入るってのが許せねぇ。 なので、晴れ。 一応、トップぐらいは元気で明るい無邪気な感じの印象でいきたい予定。 イメージは、“ちびっこ”だ。 で、いそいそとケータ...
みずのいろ。
ただ川が流れてく。 せせらぎ。 草花。 時に穏やかに、そして時には激しく。 揺れて、揺れて、揺れながら。 水のように生きていきたい。 道ができれば、そのすべてを流れていき、道なければそれを作る。 細くても、太くても。 そしてやがては空へ消え、いつか大地に雨を降らす。 それは時に悪魔と呼ばれ、ある季節にはそれ以外の何ものでもなく、ただの水。 しかし、またある場所では恵みと呼ばれ、多くの人を笑顔にし、救い、微笑みを取り戻す。 人間は、ひと雫。 きっと美しいだけじゃない。 かといって辛いだけのことでもない。 平等でもなければ、不平等でもない。 悪いことのあとには、必ずいいことがやってくるとも限らない。 悪いことが続くことだってある。 でも、いいこともあった。 日々のなかで色褪せてしまいがちな、忘れかけてた笑顔。 水の色は、水だけの色じゃない。...
ただの愚痴だわ、こりゃ。
おいおい、なんだ? 俺様、よもやの住み込み就労になんのか? 勘弁してよ…… いやはや、まったくもっての寝不足だ。 それはなぜなら、ただでさえ一人足りない上に、さらに人がまた辞めるのだな。 しかも責任者的なポジションにいた人間 ─── 自覚なし。その上、すぐに拒否反応を起こし、小学生のような感情でもって癇癪を起こし、ふてくされてだんまり。引っ込みもつかないし、意地っ張りだから、その後も自分からは話しかけることもできず、話しかけてもらえるまで待ってる上に、どうも自分じゃ収拾がつかなくなってきたら、今度は強行手段に訴えて力任せにねじ伏せようとする。 まあ、雰囲気はよくなるだろうから、それはそれでいい。 次の仕事ももう決まってるみたいだし、そちらで心機一転がんばってほしいもんだ。 たぁ~だなぁ~…… そうなってくると、俺様含め、ほかの人が一切休めなくなり、休みも...
みずのいろ。
ただ川が流れてく。 せせらぎ。 草花。 時に穏やかに、そして時には激しく。 揺れて、揺れて、揺れながら。 水のように生きていきたい。 道ができれば、そのすべてを流れていき、道なければそれを作る。 細くても、太くても。 そしてやがては空へ消え、いつか大地に雨を降らす。 それは時に悪魔と呼ばれ、ある季節にはそれ以外の何ものでもなく、ただの水。 しかし、またある場所では恵みと呼ばれ、多くの人を笑顔にし、救い、微笑みを取り戻す。 人間は、ひと雫。 きっと美しいだけじゃない。 かといって辛いだけのことでもない。 平等でもなければ、不平等でもない。 悪いことのあとには、必ずいいことがやってくるとも限らない。 悪いことが続くことだってある。 でも、いいこともあった。 日々のなかで色褪せてしまいがちな、忘れかけてた笑顔。 水の色は、水だけの色じゃない...
人間関係を築きたい相手に自分から先手を打つ。
これ忘れてた。 前に途中まで書いて別んとこ移したまんま放置になってたらしい。 今日思い出した…… 人から自分はどう思われてるか? じゃない。 人から自分はどう思われたいか? 重要なのはこっちだな。 人間関係っていう土俵上でも、築こうとか築きたい相手に対する自分の欲っつーのはやっぱ重要。 “先手必勝”なんて言葉があるけど、勝ち負けなんぞはこの際どうでもいい。 人間関係においては、今流行りの言葉を借りれば“勝ち組”だろうが“負け組”だろうが、要は最終的にそこにできた人間関係ってやつのなかで自分の欲が通ってるかっていうそこに尽きちまう。 それが叶ってない人間関係は、きっと遅かれ早かれ終わる。いや、終わらせる。 人間関係においては、きっとそれが負け。勝ちは、自分が意図したとおりに自分てやつが他人から認識してもらえてる状態。 でもって、たぶんそこが疑問であり...
一般的な血液型による性格分析を、俺様なりに考察してみる。
日本ではこの“血液型”っつーのが、話しかける話題の一つになったり表面上のとっかかりになったりして、他人との関係作りのきっかけになったりしてけっこうイカす。 信じてるとか、まったく関係ないとは言い切れないっていう人が多い。 俺様も嫌いじゃない。むしろ好き。 だが、しかし、“血液型占い”というものは、どうやら日本しかないらしい。 ということで、それを理由にそれによる分析とか性格診断とかをバカにしたり、まったく信じないという人も多い。 俺様思うに、アメリカとかに血液型占いとかが一切本当にないっていうんであれば、それはきっと、あまりにもいる人間が多いからだろう。 それをたかだか四つや八つぐらいの枠で分類しようっていうのに無理があるっていうだけのことでしょう。 アメリカでそれやろうとしたら、統計学としても最低で何人の分析しなきゃならんのだ? 人種も違えば、背景も違う...