表現の検索結果
tag:www.matsudatakuya.org,2024:/tm//feed/表現
2024-11-23T14:53:15Z
Movable Type 4.23-ja
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親友という存在の距離
tag:www.takuyamatsuda.org,2007:/TEST/2//2.398
2007-03-22T16:54:00Z
2008-09-23T05:31:26Z
松田拓弥
とはいえ、“友達”ってやつのとらえ方だって、人によっていろいろなんだろうなとも思ってる。 なんでも気兼ねなく話せて、なんら気を遣わなくてもいい相手。 いつもそばにいてくれる人。 笑い合える仲間。 つらいことも笑い飛ばせてしまえそうな関係。 最近思ったのさ。 ひと口に“親友”って言ったって、そんなもんは自分のなかのとらえ方1つがすべてじゃんて。 でも、みんながみんなそうじゃない。 それもまた自分のなかのある基準のもとに、そういう抽斗にしまってんのかなと。 そうじゃなきゃ、そう呼べる人と、そうじゃない人との違いがない。 じゃあ、そのときの気分次第で友達の区別もなくなるのかって言ったら、そうでもない。 もともと友達に区別なんてしてないって言ってしまえば、それはそれでカッコいいだろうと思う。 でもやっぱり、人間だからな。したくないことでも、やっぱし差別化はし...
感じんだよね
tag:www.takuyamatsuda.org,2007:/TEST/2//2.390
2007-02-05T16:25:00Z
2008-09-23T05:31:26Z
松田拓弥
おれ思うわけよ 人を愛するって理屈じゃねって。 洋楽聴いてて何言ってんのか全然わかんねぇけど、「この歌好き」って感じるようにさ。 夢って何? 愛って何? そやって訊くこと自体、間違ってんじゃねぇかなって。 そして、間違いなんてこともきっとないって。 「答えは1つじゃない」って言うよね。 でもさ、おれ思うんだよね。 それは自分だって。 だから答えは常に1つなんだって。 相手あっての愛ならさ。 ふたりで1つでいいんじゃねぇかなって。 考えて考えて、こねくりまわして、1つのこともいろんな断片にバラしちゃうんだなって。 元は1つ。 細分化しても元は1つ。 その1つにまた戻ればいいじゃん。 簡単なことじゃないのはわかってるけど、ぶっ壊したのは自分だからね。 自分ひとりで生きてるんじゃないけどさ。 自分以外の人がいての自分なのかもしれないさ。 でも自分は自分でしかない。 憧れや期待はあっ...
感情と言葉
tag:www.takuyamatsuda.org,2006:/TEST/2//2.373
2006-11-28T15:09:00Z
2008-09-23T05:31:25Z
松田拓弥
感情はすべて並列である。 ただ、それを表現する言葉が直列なだけである。 By 俺様。...
名のある存在
tag:www.takuyamatsuda.org,2006:/TEST/2//2.360
2006-10-16T21:19:00Z
2008-09-23T05:31:25Z
松田拓弥
人って、自分を知りすぎると、最終的には死んでしまうのかなとか最近思った。 “自分探しの旅”とかってよく聞く言葉だけど、それって、僕は思う。 それまで築いてきた自分っていうのを、いっときでもいい、一瞬でもいいから忘れてしまいときの気持ちなんだって。 旅好きの人ほど、変化っていうのを求めてるのかなとか。 人生って、愛とかなんとか、最愛の人、伴侶、あるいは“失った自分の半分”なんて表現もあるけど、そういうのを探すんじゃなくて、すごくありきたりだけど、ホントの自分っていうか、ただの自分、ただ“純粋な自分”っていうのを探してく自分のなかに積み重ねてく時間の軌跡なんじゃないかな。 それこそ、今の僕が考えられるホントシンプルな表現だと、自分自身の生と死の狭間 ── 他人うんぬんじゃなくて。 そんななかに最愛の人だとか運命だとか、友達だとか恋人だとかとの出逢いがあったり別れがあ...
原石から輝きへ、そして無邪気から純粋へ。
tag:www.takuyamatsuda.org,2006:/TEST/2//2.340
2006-09-01T15:34:00Z
2008-09-23T05:31:24Z
松田拓弥
言葉の重みは変わらない。 誰に言われた言葉なのか?? そのとき、その前、自分はどんな気持ちだったか?? そこらへんにかかってくる。 それが言葉の重みになってみたりするんじゃないか…… 突然、胸にグッとくる言葉が降りかかる。 それは全然、なんでもない言葉だったりする。 愛を叫ぶわけじゃなく、夢や希望を掲げて見せてくれるわけでもない。 でもなんでだ?? 不意だったから?? わからない。 だからそのへんにかかってくるんだと思ってみたり…… 言葉よりモノってこともある。 「お腹はすくかもしれないけど、あきらめないでがんばって生きてね」 そんなあしたの見えたような言葉より、たぶん金だ。米だ。たとえ賞味期限が切れていようが、コンビニのおにぎりだろう。 あすへとつながる励ましよりも、あしたも実際にそこにいれること。 普通に生活してれば、そんな特別っぽく見えて...
単なる松田拓弥
tag:www.takuyamatsuda.org,2006:/TEST/2//2.333
2006-08-28T17:01:00Z
2008-09-23T05:31:24Z
松田拓弥
今の僕は、自分の夢に食われてる。 未来の自分が、今の自分を食っている。 「作家になります」 きっぱりとした口調でそう口にするたびに、同じことを自分に言い聞かせているんじゃないかという気になる。そうやって、自分で自分勝手に築きあげた中身にしがみついて、そこが空洞になってしまうのを食い止めようと必死になっているような、そんな感覚に揺さぶられる。そして、揺れてしまう。 <僕は、本当に作家になりたいんだろうか?> 定石どおりに、ちょっと照れたように自分の夢を口にすることで、女の人にモテたいという下心なのかもしれない。雑誌で読んだし、少なからず自分の経験からもそれはわかってる。 モテたいというのを全部否定すれば、それは嘘になるけど、それも少なからずあるとは思う。そういう一面。 そこでいつも言われるのが、作家とかなら「就職して仕事しながらでもできるじゃない」だ。 ごもっとも...
みんなでカラッポ
tag:www.takuyamatsuda.org,2006:/TEST/2//2.329
2006-08-22T09:57:00Z
2008-09-23T05:31:24Z
松田拓弥
もしかしたら、自分、けっこう病気かもしれない…いや、病的っていったほうがうまいことガチッとくるかもしれない。 しかしながら、躁鬱とか、鬱とか、風邪とか、精神障害とか、人格問題とか、そういう小難しい名前なんてついてないだろうし、スゴクもないし、ましてや薬もらって治るようなことでもないんだろうし、そんな薬もないんじゃないか? いろんなこと考える。 考えすぎるらしい。 いっつもなんか考えてるし、考えてないことないと思うし、考えてなければ「考えてない」って頭んなかでそれを意識しちゃうし、なんか意識してないとダメらしい… 頭が痛い… 頭の前のほうと、こめかみの斜め50度ぐらい上らへんと、後頭部の首のなんとなくくぼんだ間をまっすぐ上に行って骨ばったところの、そのちょうど1点が痛くなる。 そんなときがある。 ありゃヒドイ… 頭が、頭のなかからブッ飛びそうな勢いある。 ...
Loveland
tag:www.takuyamatsuda.org,2006:/TEST/2//2.327
2006-08-21T09:09:00Z
2008-09-23T05:31:24Z
松田拓弥
気持ちの加減がわからないから どれだけ愛して どれだけ不安になって どれだけ傷つけて どれだけ傷いても どれだけの愛がいいのかわからない 素直な気持ちでぶつかったら ただぶつかり合うだけで ホントに伝えたいことも そこで消えてしまいそう 愛してほしい 愛してほしい 愛されるのは構わない そんな表現さえ浮かんでしまう それは砂漠のど真ん中で 孤独を叫ぶようなただの渇望 絶望の淵に執着するあきらめもある そこから抜け出せるのなら 誰でもいいんだ 「愛してる」 心の底からそう言える 嘘じゃない そう伝えたい人に そう伝えること そして満たされたい それは水の都の端っこから 丘の上を見上げるように たった1つ泉を探す あふれくる水に満たされながら でもいつかは枯れてしまうんじゃないかと いつも不安になりながら そして時と孤独に戸惑いながら...