- 検索 : “ 自分次第 ”
- 4 F/O ぐらいあったよ
僕の左手
2008年3月 6日 13:31
「愛してる」とか「好きだよ」なんて そんなうわべいらねぇよ いくらでも嘘なんてつけんだよ そりゃ嬉しいよ キスより早く届くから でもそんなんじゃねぇんだよ 言葉じゃねぇんだよ どんなに時間がかかっても 手をつないでくれたほうが 時間なんていらねぇよ そんなの始まりと終わりを探すだけになるから ふと孤独が僕のまぶたに迷いこんできたとき そのぬくもりをまた 探そうとするんだよ 僕の手が 僕のこの手は 求めるんだよ そんな言葉じゃないんだよ そんなのそばにいなきゃ色褪せるんだよ 言葉なんてもらっても この気持ちに理由がくっつくだけなんだよ なにをそんなに捨てていくのさ なにをそんなにあきらめるのさ なにを拾ったつもりでいるのさ なにを救ったつもりでいるのさ まずは見失いかけてる自分を拾って救ってやれよ なにからなにまで全てが自分次第なんて言わないよ やっぱりいろんなことが自分も含め...
パンツの穴
2007年4月 9日 07:29
いつも裸になってまたそれを手にとったときにふと気づくんだ 風が通るためでもなければデザインでもなく いつの間にかできてるんだ お気に入りや贈り物や 思い入れの強いものにも いつの間にかできてるんだ みんなみんな擦り切れていく そして知らず知らずのうちに そこだけなにもなくなってるんだ 一度大なり小なり見て見ぬフリをして ここのところの忙しさとその日の結末を口実にしていても そんなことは忘れてるんだ 新しいのを買ってきたり、また誰かにもらったり それまではなにも脱げなくなってしまうんだ たとえ後悔するとわかっていても でも今度はなにを隠すためなんだ? いっそ裸のままになって包み隠さずいたほうが あっちブラブラ こっちブラブラ 恥も自信も積み重ねてきた経験も いつだって自分次第で脱ぎ捨てられる紙一重なプライドだけ失くさなければ その日その日をラクに楽しく過ごせそうな気がするんだ ...
親友という存在の距離
2007年3月23日 01:54
とはいえ、“友達”ってやつのとらえ方だって、人によっていろいろなんだろうなとも思ってる。 なんでも気兼ねなく話せて、なんら気を遣わなくてもいい相手。 いつもそばにいてくれる人。 笑い合える仲間。 つらいことも笑い飛ばせてしまえそうな関係。 最近思ったのさ。 ひと口に“親友”って言ったって、そんなもんは自分のなかのとらえ方1つがすべてじゃんて。 でも、みんながみんなそうじゃない。 それもまた自分のなかのある基準のもとに、そういう抽斗にしまってんのかなと。 そうじゃなきゃ、そう呼べる人と、そうじゃない人との違いがない。 じゃあ、そのときの気分次第で友達の区別もなくなるのかって言ったら、そうでもない。 もともと友達に区別なんてしてないって言ってしまえば、それはそれでカッコいいだろうと思う。 でもやっぱり、人間だからな。したくないことでも、やっぱし差別化はし...
誰かの歌と、自分の在り方
2006年5月 7日 10:47
「自分がちっぽけに思えて…」 「この空に涙を流したあの日の悲しみも小さく思えた…」 かなりあるね!! 「誰にでも明日はくる…ちっぽけなこんな自分さえも受け入れてくれる、デッカい朝陽とともに昇る明日という朝が…」 反吐が出らぁ~!! 『勇気系』の歌にさ!! しかし、今なお根強い人気がありますなぁ~…。 “ちっぽけ” なんかじゃねぇ~ぜ!! 自分!!!! そうやっていろんなこと感じたり、思ったり、時に悩んだり、泣いたり… あの日の悲しみはちっちゃい? 違うね!! デッカいんだ!! 胸いっぱい悲しんで、頭がいっぱいっぱいになるまで思い悩んで、それのどこがちっさいってんでぃ!! それは、そんな “自分” にしかないものなんだから… 「…あの日の悲しみが今小さく見えたのは、あの日から自分がほんの少し大きくなれたから…」 …自分って存在はデカいんです。 まあま...